lapracot

仮運用中

7/12

※深夜に書いたので支離滅裂…というか空明るくなってない?

寝付けない。お茶か水を飲むべきなんだが、夜に飲むコーヒーもうまいから困る。アルコールも悪くないんだけど、1000mL 86円の無糖アイスコーヒーと300mL(?) 200円のアルコール飲料があったら前者を選ぶよなあ。


試験が近づいている。大学の試験を受けたことがないのでレベル感がわからずにいる。あと選択必修は6, 7科目単位を落としても問題ないので(GPAは下がるから、留学したくなったときに困るかもしれない)、必修を取りこぼさないのが目標。どの授業もおもしろいことにはおもしろいのだが、ここ数週間の意欲を考えると、全部が全部メチャクチャ面白いってほどでもなかったんだろう。実験レポートではないレポートもフワっとしたお題が多くてなかなか難しい。これはフワッと書いちゃっていいのか…?

コミュニケーションがあまりになさすぎてちょっと寂しい。知り合いを見かけたら話しかければいいのかもしれないが、ついついシカトしてしまう。以前はとりあえず話しかけて、あとから「あれはよくなかった、よくわかんない話をしちゃった…」と後悔したものだが、数年前からその後悔に加えて、事前にそれを予期するようになり、話しかけることに抵抗ができてきた。リアルな場(雰囲気や共通の知り合い。彼らに明示的に心配を解消してもらったことも何度かある)の状態によっては案外軽々とその抵抗は乗り越えられることも多いが、最近ではそういう場がそもそも出てこない。リアルな場には、知り合いがいない。知り合いがいる場所は、リアルな場ではない(キャンパスですれ違うだけで場を作る勇気がない)。うーん、書くとトートロジーみたいになっちゃう…。たとえばTwitterには知り合いがいるが、そこでの数回のやりとりはいわばコネクションレス(場を使い捨てる)で、フォローリストは単なるアドレス帳に近い。定期的に飛んでくるクソリプがコネクションの役割を果たしていて、実際そこにデータを載せることもある(「そういえば」というヘッダで偶然性を偽装した、意図的な会話の発生?)。場がなければ、それを作るきっかけが必要になる。そのきっかけに自信が持てない、使えない、という別の種類の抵抗もある。

1対1で会話を始めるのは難しくて、続けるのは簡単ということかもしれない(なんかこれは唐突だな)。Twitterに関して言えば、空リプ・リプライ・鍵アカウント/グループDM・DM(1対1)は場の広さ(≒開き具合)で整理することができて、それぞれ特徴が書けそうな気がする。バズるとか儲かるとかじゃなくて、そういうニュアンス的な分析、どこかで読めないかねー。


ぼんやりと「みんな意志を持って動いていてえらいな〜」と思うことが増えた。昔は自分もなんかやってたはずなのに、気づいたら学校行って帰ってくるだけになってた。もちろん問題はこの「学校行って帰ってくる」に含まれる行動が大学に進む前と後で劇的に変化していることにある。つまり、それまでは主に塾で勉強する、あるいは放課後にプログラムを書くのが意識の中心にあったのが、学校が拘束時間ではなく学習内容の面においても中心にやってきた。まだ専門教育は始まっていないのだけれど、ようやく「学校でやりたいことを勉強する」状態に近くなってきた(高専の授業には実は当初から期待していなくて、自由時間が魅力的で進学した。楽しい授業もあったとはいえ、それは事前に意図しえた=「高専志望の中学生」が夢見るような情報系分野の楽しさというよりも、たまたま楽しさを見い出せたことや(電磁気とか)、授業の「非機能要件」とでも言うべき何気ない会話などだったりした。それはそれで良い生活だった)。この変化は個人的にはすごく大きくて、ようやく「学校にいる」のではなく「学校で学ぶ」ことになりつつある。むしろこれまでがモラトリアムだった。

…あるいは別の見方をすると、それは単に履修を組むことによる裁量と自己効力感が増えただけであって、そこまで不連続な変化ではないのかもしれない。秋学期になってからまた考えてみたい。とにかく、環境は変わった。

自分が惰性で生活している感じも理由にある。あまり主体性を前に出さずに、偶然性、誘導された感じを演出したいのではないかと思うことさえある。あるいは既成事実を積む。言い換えると、政治家が他の選択をするタイミングをみすみす逃しておいて「この道しかない」と言うように、時が経つにつれて可能性が絞られていくことに身を任せ、あとから残った可能性こそが最適な可能性だった、実現した状態が理想的な状態になった、と遡る形で宣言する…そういう計画が心のどこかで出来上がっている。そんな気がしてならない。こういうやり方は悪いというか、他の領域に踏み出す気力を削いでいるような気がする。とはいえこの方法で説明すると、絞られる前の可能性をインプットとして多めに用意する必要があって(履修を多くすることに対応する)、それは別に構わないんじゃない?という気もしている。うまく表現できない。

あるいは主体として、情報系分野に対する意欲がそれほど実はしぼみつつあって、それをカバーしようとしているのだろうか。実際のところ自分で「俺はコンピュータがめちゃくちゃ好きなんだなあ」と思うことは今のところほとんどなくて(4,5年前はその中のあるトピックについてこれが好きというのはあった気がするが、それが移動していくうちに冷めた・抑制的な目線を同時に持つようになった)、「なんでかわかんないけど気づいたらパソコンカタカタして一日が終わった」が多い。まあ原点回帰といえばそうなる。


銃でやられた件について、容疑者は「政治思想が原因ではなく、団体とのつながりが動機になった」的なことを言っている。しかし、「政治家が宗教団体にビデオメッセージを送ってもいい」と考えてそうするのは政治思想に他ならないんじゃないの?ともやもやしている。あと、元首相とはいえ一議員だし、政治的暗殺でもなかったとすれば、コロナで亡くなった羽田議員(そういう人がいたんですよ)の扱いと比較して、「あ〜なんか、やっぱり違うんだなあ」と不思議な感じがする。まあ銃が出てくる時点で異常ではある。

最近見られる動きとして、こういうことがあったときに「心を守ろうね」と呼びかけるユーザが増えた(個人的には上のように書き出して一度外に出すのが好き、でもこれは逆効果になる場合があるらしい)。それはいいんだけど、プラットフォームももっと何かできないのかな〜と思っている。厚生労働省の電話番号を貼って、悪い言い方をすればアウトソースしているだけ?(トレンドも思うところがあって、アルゴリズムは免罪符ではない)。Misskey, MastodonのCWはうまく使えば有効そう。以前全員ミュートするスクリプトについて記事を書いたことがあるけれど、ミュートワードやアカウントのリストを見るとユーザの性格とか考えがにじみ出ていて、そのあたりで実験的なものを作って自分で試してみたいとよく考える。

参院選改憲派が2/3をとったので、いずれ国民投票には持ち込まれそうな予感。直前だったので「弔い合戦」にはならなかったが、「悲願達成、弔い発議」にはなるだろうか…。そうするためには早々と草案をまとめる必要があるので、難しいかもしれない。維新の動きによるかなあ(道州制を提案してはいるけれども、あまりこだわってないんじゃないかな)。今の草案は、9条とか国家緊急権以前に、家族条項とか擁護義務など「それ憲法で言うことじゃなくない?」って項目がゴロゴロあるので勘弁してほしい。今後の議論を見守るしかない。

4/9

居所を別の寮に移して一週間が経った。けっこう快適。入居した翌々日に近くで感染者が発生してしまって、4階の別部屋への隔離に巻き添えをくらってしまった。それでも高層階は空が大きくて眺めがいい。ベランダにはおなかの高さほどの柵があるが、それと天井とをつなぐように別途網がかけられている。邪魔でしょうがない。洗濯物を落としたら取りにいけばいいだけだ。あるいは人が落ちないように、落ちられないようにするためかもしれない。いずれ落ちたくなるのかもしれない。学校の相談室はかなりしっかりしているようだが、寮にはそんなものはない。せいぜい気をつけよう。

この街はアホみたいに監視カメラがある。繁華街・大通りはともかく、ちょっと古そうな集合住宅の柱にも銀色の銃身(にしては太い)のようなカメラがついているからびっくりする。もちろん寮の天井でも、黒色のカプセル越しに睨まれている。


授業も始まった。気づけば理工系科目ばっかりやってたから、人文系に触れるのもいい。昨年までは知っている本を書いた人が教鞭をとっていたようだが、今年は講義を持っていないようなので残念。他大学の所属で聞いた名前が数年経つとここに異動していたりする。面白そうな講義が面白くなかったり、その逆がわりとあるので、いろいろ受けてみて考える必要がある。フランス語を取ることにした。基礎的なやつ。フランスとその文化について知ってること〜って聞かれても、French Houseしか知らんので困る。料理もフランスパンとフレンチトーストしか知らないんだから…。講師がたまたまグレーバーの訳者だった。いやー、いいかげんそろそろ読んでみたい。

履修を組むにあたっては、さしあたり面白そうなものを放り込んでいる。いわゆる楽単などは考慮していないのでちょっと心配だし、そういうのを考えすぎるのもいかがなものかと思ってしまう。自分は基本的にフラフラしている一方、ある種の話題については動機の純粋さというか、道徳的なインテグリティをやたらと重視する癖があって、端的にいえばそれが要領の悪さにも寄与している気がする。逆にその癖のおかげでうまくいっていることがあまり見えてこない。


嘔吐のあとに買った『ゲルマニア』を読み切った。構成はちょっとあっさりしてるけど、都市の描写には満足した。その主人公がよくクラシックを流していたので、なんとなくクラシックを聴く気になって(何気に初めてのことだ)、Spotifyで適当に漁った。Suite bergamasque(ベルガマスク組曲)・En bateau(ボートにて?)・白鳥の湖とかいいな。人で言えばドビュッシー、ラモー、チャイコフスキー? あんまり有名なところだと編集された(商業化された)のをずっと聴かされているから、素直に向き合えなくてつらい。

3/18

※アンテナがぶっ壊れてしまったので遅め

今週は手続きとか学会発表、講習会で時間を使ったり憂鬱になったりして、ようやく暇な日が来たかと思えば無線LANの子機のUSB端子が取れたりした。それであまり開発や荷造りができなかった。若干頭が痛い。気圧かな。


なんか毎日のようにTwitter3時間近く見てて(まあ開けてるだけで見てないのかもしれんが)まずいなー。別に面白くないのに見ちゃうんだよなあ。それでも先週まではなんとなく何をしようか考えながら進めていたのに対して、今週に入るとまた何をするにも億劫になってきた…。

新生活が楽しみというのも今のところそれほど感じなくて、憂鬱なことの一つでしかない。せっかくだから自分であれこれ考えて構築していきたいと思っているが、どうやらそれも叶わなそうだ。贅沢な悩みかもしれんが、それをいうなら大学に行くことこそが贅沢だし、そういう事実やら罪からは逃れられない。


某講習会に参加した。あの手の入門系の講座はなかなか需要が尽きないね(半分は行かされたのかもしれない)。名古屋行って参加したときは元気だったなー。環境が変わって期待と混乱で張り切っちゃう流れはまた来るんだろうか。どうなんだろう。

年齢層が高め(学生率が低い)の運営だと「?」という事態はちょくちょく起こって、それであの界隈はモメることもあるらしい。自分は権威主義的な人間なので、上が何かいうととりあえずポジティブに解釈してしまう、解釈できなくても受け入れようとしてしまう癖がある。それで長いこと考えてなるほど、となることもあれば、解釈・批判のないまま骨に染み付いてしまうこともある。たぶん。利口な立ち回りをしておくととりあえず刺されないのでラクなんだが、たまにキッパリ自信を持って言ってる同年代を見ると、ちょっといいなあと思う。

過去に参加した勉強会だと、高専の名を冠した東京某所のアレは最悪…とまではいわずも結構内容がひどかったな。LTの質がQiitaのクソ記事ということではなくて(そんなことでガミガミ言ってはいけない)、代替医療陰謀論の成分がきつくて顔をしかめそうになったということ。I高専の低学年の人たちは組織的なつながりがあるのかグループで来ていたけれども、そういう人がせっかく高専の外に出てなんかやってみよう!となった末がコレと思うと、かなりかわいそうだ。招聘されてた関係者も同じことを思ったのか、「情報は自分でよく考えて鵜呑みにしないようにしましょうというのが、私からのアドバイスです」とほのめかしていて渋い顔で頷いたのを覚えている。あーあ。カネがあって部屋があって中身がゴミなの本当にもったいない。しかし結局怪しいアレで稼いだカネが循環しているわけで…。普通に良いコンテンツもあった、というかそれのほうがウェイトとしてはギリギリ多かったんだけどね。こういうのもあって、高専ナンチャラが苦手になったのかね。


Duolingoを再び続けている。2週間はやる気マンマンでそこからストンとモチベーションが下がるのは語学でも同じだな。遅くなっても続けさえすればいつかは終わる。とりあえず finir, parler, ^etre, avoir, devoir, allerぐらいの活用は覚えた。vouloirはちょっと怪しい。発音はガバガバだけど、まあいいか。acheterがach`eteになるのも地味につらい。英語のときはなんとなくで複数形を作ってもまず間違えなかった。中学英語では習った過去形や複数形を作るルールも一度も使わなかった。日常でそんなに触れない言語ではそうはいかず、原則を知る必要があるので、そういう意味では中学時代の落ち穂拾いをしている。

2/19

Titanfall 2を買った。旧正月セールで750円だった。Originならどうせまたすぐ割引される。シングルプレイ(キャンペーン)で十分元が取れた。照明を消してプレイすると雰囲気が出ていいのだが、フルスクリーンだと時計が見えないのでついつい時間を忘れて夜ふかししてしまう。マルチプレイもやってみようと思ったのだが、1年ほど前からDDoSを食らってしょっちゅうダウンしていたらしい。それで有志がMod経由で別のマッチングサーバを作って復活させた。調べていると自演な気もするのでなんともいえない。とりあえずユーザが勝手に解析してツールをどんどん作るのは歓迎したい。


卒論もあとは発表するだけ。基本的に卒研の結果がイマイチという観点に立っていて、そこから「まあまあ、それでもいいじゃない」と「ゴミだ〜やっぱりゴミだなぁ…」が週ごとに入れ替わってやってくる。共有フォルダに全員のPDFが上がっているが、読むのはやめとこう。


入学手続きの書類が来た。なんか封筒がペラペラで、まあそれはありがたいんだけど、入寮手続きのときより薄いのは不思議だ。編入試験は普通の試験よりやっぱり簡単そうに思えるし、その編入試験でヒーヒー言ってるのを入れて大丈夫なんか?とおせっかいの気持ちが未だに湧いてくる。しかしこの制度を作っているのは慈悲とかそういうものではなくて、機構の思惑・大学の本音・試験のコストである。ハズレを引くのは想定内のはずだし、想定外ならそれは俺に加えて教授がアホだからなんだ…ということを確認して、安心して、後輩の答案に赤を入れる。この添削は先生役というよりただの相互レビューなので気楽にやれる。しかし時には先生役をやることもあった。部活だった。いま思い返せばなかなか良い機会だったのだが、それをあまり活かせなかった気がする。「あやふやな理解を残したまま誰かに教える」ことについては、2つの評価がある。

  1. 教えてみると、あやふやな部分を整理することができるので良い
  2. 知識をひけらかしたいだけなんでしょ?やめたほうがいい

基本的には1のスタンスで、時折「2なんじゃないのか」と悩んできた。まだ結論は出ない。

2と同様の意味で、「愚者は教えたがり、賢者は学びたがる」という格言がある。格言とかことわざの類は、そのフレーズそのものが真理を示しているのではなくて、ある具体的な事実の一部の性質に注目したいときに、「これはまさに(ことわざ)ですね」のように使うものだと捉えている。また、何かを主張したいときに、フレーズを臭み消しとして練り込むと主張っぽさが消えて嬉しい。別に「弘法も筆のあやまり」なんて言わずに「誰だってミスはしますからね」と一般的な表現にすくい上げたらわかりやすいのにとは思うが、言語はわかりやすさだけではないのでずっと使われている。一方「鶏が先か、卵が先か」については、具体的なモノを持ち出してきたことで一般にもわかりやすくなり、コンパクトに表現しやすくなった例だと思う。メーデー関連の動画を見ていると、的外れな(というか、的がどこにあるのかわからない)格言をコメントするだけのユーザが多くて、こういうことを考えた。

部活に話を戻すと、後継がなかなかいないのは制度や風土によるところも大きいだろう。選択の結果、属人的な傾向も受け入れざるを得ないのであって、それは仕方のないことなんだろう。


先輩に聞いたら入って一年目の夏休みは割と暇なので、何か予定を入れたい。4,5年は予定を入れずに引きこもってたけど、やっぱりなんか飽きるんだよなあ。前回書いたようにGSoCを追っていて、そろそろOrganization側からアイデアが出てきている。見ていると自分にもできそうで面白そうなのがいくつかある。無論それは他にもできそうな人がたくさんいるということで…。低レイヤはいずれ学校で腐るほどやるから、技術的にはもうちょい上のレイヤで、非技術的には共同開発のプロセスとかを学びたいかな〜。レビューの雰囲気なども心配なのだが、それ以上に心配なのが日程だ。基本秋入学圏の夏休みに合わせているからかなり早め。まあ通ってから心配してもいいんだよな。よく考えずに飛び込むアプローチについては、また今度書こう。


外に行くのが億劫で、用事がメルカリの発送と図書館しかない。期限を過ぎてしまった本をようやく返しに行った。ミシェル・ウエルベックセロトニン』は結論からいえばよかった。はじめの1/3程度はひたすら愚痴と官能って感じでキツかった。それ以降はもうちょっと動きが出てきて読むのが楽しくなった。テーマも社会的で好みだった。主人公は社会問題についてシニカルである印象を受けた。属性を考えればそんなものだろうか。あと『一歩先への憲法入門』も読んだ。「一歩先に」とかに弱いんだよね。共著なので何回か同じことを繰り返しているのは気になったが、平易で読みやすかった。一見解釈が一通りしかなさそうな条文でも、細かい点の解釈でかなり違った説になるのが面白い。法理・原理から権利を導出していくプロセスには馴染みがある。よくできている。憲法に基づいて最終的に判断を下す最高裁の判決では、「憲法の読み方はいろいろあるけど、やっぱりこの種の事件はケースバイケースで考えるしかないんやで」という注意が多く、これは先述の格言の活用にも関連していそう。ちなみに、改憲派(自民・公明・維新・国民)が衆院では2/3を占めているので、今年7月の参議院で2/3を獲れば国民投票になる。

1/27

17日前の話になってしまうが、成人式に行った。税金スタジアムの内外でうろちょろしていた。着物とスーツとヘアメイクに手がかりを奪われた状態で、知っているはずの誰かに親しく話しかけられ、名前と声を聞いておぼろげな記憶が蘇ってきたころに写真を撮って離れていってしまう(そしておそらく二度と会わない)。夢と寝起きを行ったり来たりしているようだった。そういうわけで、よく話した友達を見つける余裕もなく、あまりおもしろい話はできなかった。進学予定の大学名を2回しか言わずに済んだのは幸運だった。

その中に一人、Twitterで接点を持っていた人がいた。晴れ着姿よりはるかに現実味のあるアイコンを目にすることができた。相手が「会ったことはない」と明言してくれたので安心した。情報系の学部に通っているらしい。ツイートは駆け出しエンジニアのハッシュタグで埋まっていた。


10時半に起きて、卒論の合間にネットを見てるのかネットの合間に卒論を書いてるのかよくわからないまま0時半に寝る生活が続いている。いろいろ書きたくなってしまって混乱するし気が散る。無意味にGmailTwitterを開けてしまう。全然進んでいないのに疲れる。混乱による疲労感を抑えるためには、Spotifyで垂れ流す。デメリットとして思考が鈍くなるが、それだけ気の散る範囲も抑えられて、文章を書くタスクとは相性が良い。適した・適さないジャンルというのはあまりなさそう。

混乱が続くと、脳内のメモ帳に書くイメージが出てくるので、そのタイミングで書けということなのかもしれない。率直に書けて愚痴らずに書きあぐねる手段を維持したい。紙のメモ帳と共有機能のない貧弱なメモアプリの違いが何かを考えると、スマホを使えば簡単に両利きになれることだと気づく。布団に入っているときに便利だが、書きすぎると「布団に入ってメモアプリに記録する」夢を見るようになり、着想を夢の中に捨ててしまう。

『数学文章作法』では「読む人のことを考える」が格言として繰り返されている。自分はどうやら考えすぎている。それは論文に限らない。弱っているとブログを書くときにも何か突っ込まれないか不安になってしまう。特にアートや表現に分類されるような事柄について書くときはそう。しかしどう考えても、この格言が言いたいのは読者を「思いやる」ことで、「恐れる」ことではないんだなあ。逆に政治とか人間関係についてはそこまで気にしないほう(気にする方法がわからない)だと思う。じゃあ、「思いやる」についてはどうなのかというと、一応誤字脱字・規則性・リズムぐらいはチェックしているものの、それ以上は難しくてやれていない。

SATySFiで書いていたのは断念してLuaLaTeXに書き直した。5時間ぐらいかかった。やはりDockerは便利だ。きれいなプレビューを見るとまだ書く気になれる。雑誌に寄稿したときは最後の最後でようやくプレビュー(ゲラ)が来たので、その面に限って言えばラクではある。実際のところ、卒論の一番の読者は担当教員になってしまうのだが、まあ先生は自身の視点で修正をくれるので、わざわざ筆者が自分からその視点に向かう必要はない。となれば、後輩が解読できる文章にすることかな…。


北海道で買った菓子がうまい。買ったものを列挙する。「また買うであろう」順。味覚の正しさは保証しない。全責任は寮食堂にある。そして味に100%集中できる脳があればブログなんか書かない。

  • LeTAOのfromage double: クリームがすばらしい。もう一個買えばよかった。
  • ROYCEの生チョコレート: 1日1個食べてる。部屋の冷蔵庫はこれのためだけに起動され、1ヶ月間動き続ける。
  • LeTAOのjersey milk burger: 研究室に持っていったお土産。贅沢感が大きい。
  • 白い恋人(ずんだ): 面白いとうまいが50:50。
  • キャラメルハニーサンド: パッケージがかわいい。薄いのでちょっと食べたいときに嬉しい。
  • 花畑牧場キャラメル: やわらかいので歯が抜ける懸念をしなくて済む。
  • 北見ハッカ飴: 中にクリームっぽいものが入っているのが特徴。旅行中よくかじった。
  • マルセイバターケーキ: うまいけど、おばあちゃんのお菓子って感じ。定番のお土産らしい。
  • ソフトカツゲンソフトキャンディ: どこにでもある味。好きな味。
  • あんバタサン: うまい。予想より1個が大きくてつらい。つい読んでしまうのでパッケージの表面にごちゃごちゃ書かないでほしい。

ROYCEのポテチとなんかオタクっぽいペットボトルに入ったガラナはまだ開けてない。ポテチは以前に食べたし、ガラナは現地で飲んだ。あと紅茶も買った。毎晩淹れて飲んでいる。現地で行った店とかはまた今度書く。


『「人新世」の資本論』をほとんど読んだ。人気作なだけあって面白い。コモンやワーカーズコープに関する話は他の本で読んだが、気候変動と絡めた話をちゃんと読むのは初めて。まあ、なかなか政治談話を生活の場でするのは難しいしなあ。 そういえば部屋のエアコンを今年に入ってから入れていないが、これは環境保護のためではなくて、乾燥防止の濡れタオルを吊るすのがめんどくさいから。最寄りの蛇口が遠すぎる(いまさら)。